――莉奈と誕生日デート。
末尾にはスケジュールを入力したときのテンションそのままに絵文字が踊っている。たった2か月前なのに、遠い。ゲルマン民族の大移動くらい遠く感じる。日本史Bあるいは世界史A。第一問。莉奈の乱が起こった原因とその政治的・歴史的影響について述べなさい。《800字程度》
ちくたくちくたく。
くずれたパンケーキをぼんやりと口に運んで、わたしは空白の解答欄を見つめる。リマインダーを見つめる。些細ないさかい。足りなかった言葉。それらがいつのまにか積み上がり、心がすれ違ってしまった。お互いの関係に慣れすぎて「言わなくてもわかってくれる」なんて慢心して、気づいた時には遅かった。なにがあったというわけじゃない。でも終わっていた。莉奈の乱。それはわたしという愚か者への当然の反乱だった。
涙があふれそうになってぎゅっと眼を閉じる。ゆっくりと息を吸う。考えちゃいけない。思い出しちゃいけない。そう思えば思うほどストレートパーマをかけた莉奈の髪や唇の感触がよみがえる。映画館で一緒に食べたポップコーンの味や帰り道で食べたたい焼きの匂いを思い出す。仲直りの手紙を無造作に莉奈の鞄に突っ込んで走り去った日のこと。莉奈の手に落ちて溶けた雪を舐めた午後。忘れちゃうよねとふたりで笑った教室。好きな音楽について1時間くらい話したあと、こんなこともいつか忘れちゃうんだろうねと莉奈は微笑んだ。過ごした日々。交わした会話。ぜんぶ覚えていることはできない。だから、きっと、忘れちゃう。ここにあったものは、いつかなかったことになる。
わたしはなんて答えたのだろう。覚えていない。放課後の日差しが床を白く切り取っていたことは覚えているのに、肝心なことはなにひとつ思い出せない。莉奈の言う通りだ。感情も、気持ちも、たしかにそこにあったのにわたしたちは忘れてしまう。
――わたしたち、どんな大人になるんだろうね。
あの放課後、莉奈の横顔は綺麗で、忘れたくないと強く思った。いっしょに大人になろう。いいかけて、でも、恥ずかしくていえなかった。いえなかった言葉ばかり覚えてる。
一緒にいたかった。誕生日おめでとうっていってほしかった。
莉奈が食べたがっていたふわふわのパンケーキをひとりで食べる。わたしは今日で17歳。莉奈よりも1歳、年上になった。嬉しくない。ぜんぜんめでたくなんか、ない。せっかくのパンケーキだってぜんぜん味がわからない。
忘れないで、なんていえない。
忘れない、なんて誓えない。
でも莉奈と過ごした日々は消えない。わたしが忘れてしまっても、莉奈が思い出さなくなっても、なかったことになんか、ならない。だから。
――いっしょに大人になろう。
あの日いえなかった言葉を、わたしは、やっと口にした。声にならない声で。ここにいない彼女へ向けて。
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