プレイバック


 毎日セックスだけしていたい。難しいことなんか何も考えたくない。親のこと、お金のこと、将来のこと、ぜんぶぜんぶ忘れてしまいたい。馬鹿になりたい。付けっ放しにしたテレビではデモの様子が流れてる。政治家に対する悪口だかなんだかを声高に誰かが叫んでる。「戦争が始まる」と書かれたプラカード。群衆に踏まれる政治家たちの写真。

 わたしたちの部屋は1DKで、洋室の広さは6畳ほどだ。ふたりで暮らすには少し狭い。ベッドとソファ、机や本棚を置くとすぐスペースが埋まってしまう。だからテレビは19インチのもので我慢している。いつかお金が溜まって引っ越ししたら42インチの液晶テレビを買いたい。

 わたしたちはどちらも集団が嫌いだった。二人はいい。三人はまだ耐えられる。でも四人以上になるとダメだ。トラウマが蘇ってしまう。いじめられた記憶。集団の「正義」が個人を追いつめる。周囲は見て見ない振りでやり過ごす。教師もクラスメートも気付かない振りをする。高校時代に彼女と一緒にお昼を食べていたとき、クラスメートの集団がわたしたちを見て「ブスのくせに」と笑った。意味がわからなかった。あとで、「ブスのくせに恋愛している」と言いたかったんだとわかった。「男にモテないから女同士で慰め合ってんだよ」と嘲笑われていたのだと知った。なんですか。ブスには基本的人権がないんですか。恋愛しちゃいけないんですか。でもその頃のわたしたちは俯くしかなかった。暗くて内気なブスほど虐げられ笑われる。ブスが生き延びるには強く明るく逞しくなるしかない。タフじゃないと生きられない。優しくないと生きるためだけに生きることになってしまう。大学に入るころにはブスだのレズだの言ってくる馬鹿どもに「男も抱けない童貞は黙ってろ」だの「うるせえ、ブスの性欲なめんな」だの言えるようになったけど、高校生のわたしたちは「ひのきのぼう」さえ装備してない駆け出しの冒険者だった。徒党を組んだゴーレムに勝てるわけなかった。

 そんなわけでテレビに映るデモの集団にはあまり良い印象は抱かなかった。彼らの行動力は立派なのかもしれない。でもその信条に同意はできないし、できたとしてもわたしたちがそこに加わることはない。過去の記憶のせいもあるが、何より怖かった。自分が集団の一員になることで同調圧力のひとつになってしまうこと――自分が自分でなくなってしまうかもしれないことが怖かった。

 なに観てんの? テレビなんか消しなよ。

 脇腹をくすぐられる。

 だって付けてないと、声、聞こえちゃうかも。

 安保闘争の年に建てられたアパートだった。当時のことを、わたしたちは記録映像でしか知らない。白黒の画面の中、投げられる火炎瓶。ヘルメットをかぶった警官たち。怒号。いつか深夜にNHKで流れていたその映像だけがわたしの知る「闘争」のすべてだ。その年に建てられた古いアパートの壁が薄く、油断すると虫が部屋に入り込むということが「闘争」のあとの「現実」だった。

 いいって。消しちゃってよ。

 リモコンが押される。画面が消える刹那、若い男の顔が大写しになった。髪を染め、眉毛も手入れされている。整った顔立ちだった。彼女がいて、友人に囲まれて、大学生なら単位も落とさず就職活動も卒なく行っている。そんな印象を受けた。彼は何かを訴えていたが、内容よりも高揚したその顔が眼に焼き付いた。興奮。そして、快楽。暗い画面に映ったのはわたしたちだった。互いの肌を舐め、触れて、快楽への階段を無我夢中になって上り始めた女たちの姿だった。


 わたしたちはふたりとも1981年に生まれた。「セーラー服と機関銃」が公開された年だ。ロサンゼルスで最初のエイズ患者が発見された年でもある。日本はまだ豊かで、高度成長期はこの先もずっと続くと思われていた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて、いまだったら「そうだね、ナンバーワンだね」と厨二病患者を見るような眼でしか見られないようなことをみんながドヤ顔で言っていた時代でもあった。国家的厨二病あるいはバブル。泡は弾ける時が来る。当時ベストセラーになった「マーフィーの法則」に掲載されていたか定かではないが、子供でも分かることだった。予定調和。残念なことにわかっている者は少なかった。90年代の始め、わたしたちが小学校高学年を迎えたあたりに盛大に泡が弾け飛び、その後の歳月は「失われた20年」と呼ばれることになる。ちょうどわたしたちの10代、20代に重なっていて、ニュースなんかで「失われた20年」と誰かが発言するたび他人事と思えず苦しくなる。わたしたちにとっても同じだった。自分たちのなりたいものにはなれず、思い描いた夢は達成できず、ただいたずらに年を重ねた。気づけば30代も半ばだった。知り合いはみな結婚し、子供を産み、この社会にそれなりの居場所を築いていた。わたしたちだけが経済と一緒に失速し停滞していたようだった。

 わたしたちは高校で知り合った。親しくなったきっかけは「新世紀エヴァンゲリオン」だった。まだいまほどのヒットになる前、「なんかすごいらしい」と知る人ぞ知るアニメだったころ、ビデオを貸して貰ったのだった。それから一緒に「魔法騎士レイアース」について語り明かしたり「少女革命ウテナ」に嵌ったりした。楽しかった。本当に楽しい時間だった。わたしたちの一部は1990年代最後の数年間で出来ているといまでも思う。

 虚構を貪り虚構に溺れながらもひとりになると耳元で誰かが「現実を見ろ」と繰り返し囁いた。逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ。わかってる。わたしたちにとって自分たちの生きているいまが現実だった。逃げようがなかった。わたしたちにファンタジー要素なんてひとかけらもない。消費されることもない。でも需要もない。わたしたちによる、わたしたちのための、わたしたちの現実。

 それがこの文章だ。物語ですらない。わたしたちは「物語」が嫌いだ。さんざんアニメに溺れておいてどの口を言うと自分たちでも思うが、でも、そうだ。わたしたちはペアを組んで漫画家を目指した。「物語」に生理的嫌悪すら覚えるくせに「物語」を紡ごうとしている。矛盾だった。でもわたしたちはその矛盾を解決したかった。そのためにひたすらファミレスでネームを描き、バイトを休んで原稿を仕上げた。結果は予選落ちだった。自分たちより若い子がデビューするのを何度も見た。嫉妬と焦燥で飲めない酒を無理矢理飲んだ。「現実」を見るべきだ。プロになってさえ成功するのはほんの一部に過ぎない。早く見切りをつけ、まともな会社に勤めるべきだった。遅すぎた。わたしたちは貧しい同性愛者として寄り添い生き延びるしかなかった。デモ? 闘争? わたしたちは今月の食費をいかに切り詰めるかで頭がいっぱいだ。滞納した家賃をどうやって払うかの方が最優先事項だ。金もなく、才能もなく、将来もない。選評を覚えている。ネットで応募すれば必ず編集者にコメントをもらえるという企画があり、わたしたちの作品を送ったのだった。

――痛々しく、みっともなく、ださい。

 主人公の姿を編集者はそう評した。

――でも、切実な何かを感じる。

 それだけだった。それはそのままわたしたちの姿だった。どれだけニコニコ生放送で実況してコメントが付いても、ツイッターのフォロワー数が増えても、承認欲求ばかりを虚しく満たしても、本当に欲しいものは手に入らない。痛々しく、みっともなく、ださい。

でも、切実。


 足指が澄んだ水に触れて目覚めた。朝だった。ふたりともバイトが休みで、どれだけ寝ても誰かに怒られることはない。わたしたちは家族と縁を切っているし、友人もいない(ネットで仲良くしてる人はいるがリアルで会おうとは思わない)。自分たちで予定を立てない限り、休日にやるべきことなんてない。眼やにを指で擦り取る。意識はまだ半分、あちら側だった。さらさらと足を洗う水は、風だった。窓際に置いた銀子とるる(ユリ熊嵐に出てくるキャラクターで、どちらも熊だ)のぬいぐるみを太陽が照らし、わたしたちの瞼に汗が滲んでいるのに、風にはまだ夜明けの名残りがあった。どこかで工事をしているのか金槌の音が聞こえた。カンカンカン。小鳥たちのさえずりが可愛らしいシールのように透明なボードに貼られていく。青空に重ねられたはずのそのボードを見ようとして、眼を細めたが無駄だった。高すぎる空に胸が疼いただけだった。秋が来ると切なくなる。世界が美しく透明で、胸の奥に押し込めたいろんな記憶が蘇りそうになる。思い出したいこと、思い出したくないこと。自分で自分を許さずにいるすべてが――許せずに押し入れのどこかに蹴り込んだあれこれが――浮かび上がりかける。無条件に許してしまいそうになる。そんなの嫌だ。そうするくらいならわたしたちは死を選ぶ。つらいこと、苦しいことが多く起こりましたが、最後には彼女たちは許されて幸せに暮らしました。童話かよ。「幸せ」なんて口にするくらいなら舌を噛み切った方が良かった。わたしたちは「幸せ」なんて求めてない。それなのに秋はどこまでも透明で、美しくて、なんだか憂鬱になる。死にたい。

 顔を洗って歯を磨く。タブレットを操作し音楽を再生し、朝ごはんの準備を始める。taffyのSuicidal Bunny。アニメ版のニンジャスレイヤーでエンディングとして使われた曲。わたしたちのお気に入りの一曲だった。作業をするときは洋楽か、歌詞がぜんぶ英語の歌がいい。日本語歌詞だとどうしても意識がそっちに行ってしまう。自分の一部を持っていかれてしまう。以前、クラシックやジャズを聴きながら料理をしたこともある。でも「なんか、うちら、村上春樹っぽくね?」となってふたりとも爆笑したのでやめた。リストの「愛の夢」を聴きながらフライパンにバターを溶かしていたらメールが届いた。ヤフーショッピングから北海道スイーツ祭り開催のお知らせだった。――なんて、どこか失敗した春樹っぽい。いや、いいんだけど、わたしたちには似合わない。ただ、そんなふうに意識してしまうということはわたしたちに何か問題があるのかもしれない。むしろ問題だらけだ。HPやツイッターに悪意あるリプライを書き込まれたことは何度もある。そのひとつを思い出す。「自意識をこじらせたあげくフェミ武装しためんどくさい女」と書かれていた。似たような内容の書き込みに慣れていたので返信せずブロックした。そうですね、わたしたちは自意識をこじらせまくってもはやゴルディアスの結び目と化していて、いつか一刀両断される日を夢見ているのですよ。生きるために何かで武装するしかなくて、男にしたら「素直」でも「かわいい」でもないめんどくさい女でしょう。でも、知ってる? 言葉って自分に返ってくるんだよ。悪意ある言葉を口に出すとその瞬間は気持ちいいかもしれないけど、自分の心の底に澱のようなものが溜まっていくんだよ。

ガスの火を弱めて、タブレットに手を伸ばす。ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が流れる。寝室で、もそもそと起き出した気配がする。足音。おはようと挨拶を交わす。

珍しい。今日はクラシックなんだ?

 なんか聴きたくなって。

 いいじゃん。たまにはこういうのも良いね。

 たまにはね。


 朝食を食べ終えて少しお腹を休めてから、外に出た。平日の午前中ということもあり人通りは少ない。赤ん坊を背負った若い母親とすれ違い、深く腰を曲げて歩く老婆を追い越した。のどかな陽射しが老婆の杖の先にあった。電柱は影を塀に預けて秋の光を女たちに差し出していた。

 わたしたちは手を繋がなかった。人目を気にしていた頃からの習慣で、いまさら繋ぎたいとも思わない。何度か――どれも夜だった――手を握ったことがある。

 ――ふむ。

 反応はそれだけだった。驚きも照れもなく、「ふむ」と何かを勝手に納得されて終わった。おみくじで微妙な結果が出た時の顔をしていた。中吉とか末吉とか、そのあたりの反応だ。手を繋ぐというのはどうやらそのレベルの出来事のようだった。中吉。

 いや、だってさ、どう反応しろって言うのさ。

 笑えばいいと思うよ。

 また古いネタを…… 笑えないっての。

 そんなことを言い合ってたくせに、中学生の男女が手を繋いでいるのを見かけると「うわあ、なにあれ、なにあれ」「思春期ですよ……甘酸っぱいですよ……」「思春期オーラやばいわ。羨ましいとかリア充死ねとかじゃなくて、眩し過ぎてやばいわ」と(ひそひそ声で)騒ぎまくるのだった。

 ねえ、時々さ、わたしたちだって中学生だったんだって叫びたくなんない?

 わかる。叫びたくなる。

 30代って、気持ち的に中学生に戻る部分あるよね。

 うん。20代は大学入って卒業して、社会に出て、もみくちゃになりながら駆け抜けた気がする。社会で一人前になるために10代の自分を否定したこともあった。でも、それらがようやく落ち着いて、踊り場みたいなとこに出たとき、30代くらいになると、10代のころ好きだったものにもう一度夢中になるよね。あの頃はお金の問題で手に入れられなかったものを大人の力で手にしたくなるっていうか。

 時を駆ける厨二病。

 カミング・スーン。

 

 20代。わたしたちは死ぬことを計画していた。完全自殺マニュアルを熟読し、心中ものを読み漁った。どこにも居場所はなかった。男社会と女社会の両方からわたしたちは弾かれ、異端視された。要領が悪く記憶力も良くなくて職場でもさんざんひどいことを言われた。持ち込んだ漫画は「pixivの素人の方がまだ画力がある」とか「漫画として成立していない」とかさんざんな評価だった。百合の漫画を描いて持ち込みしたのに「これは百合じゃない」とまで言われたことがある。それならと百合漫画をネットにアップすると「パクリだ」だの「ミソジニーだ」だのコメントされて炎上した。ブログを消して違った路線の作品を発表すると今度は閲覧数が身内だけという結果になった。

 当時のわたしたちの口癖は「疲れた」「死にたい」だった。努力しても夢はかなわない。凡人が寝食を惜しみ、生活を犠牲にして書き上げた作品なんて、天才が暇つぶしに描いたネームにすら及ばない。

 同棲を始めたものの、お互いにバイトで消耗し疲れ切って漫画を描けない日が続いた。生活のために生活しているだけだった。そんな現実を忘れるためにわたしたちは「勉強のために」ニコニコ動画でアニメや歌い手の動画を観て、好き勝手に文句を言った。コメントした。「息抜きに」セックスしてくたびれて眠った。

 口癖はもうひとつ、あった。「大丈夫」だ。わたしたちはお菓子を食べながら動画を観て、「大丈夫」と言った。欲望のままに絡み合いながら「大丈夫」を繰り返した。大丈夫じゃなかった。わたしたちはゆっくりと死んでいた。腐っていた。だから20代最後の年に「一緒に死んでくれない?」とまるで近所のコンビニにでも行くような口調で言われたとき、頷いた。この世界にわたしたちの出口はもうそれしかない。

 ネットで取り寄せた薬が届くまで、わたしたちはハイテンションで過ごした。ハンター×ハンターの連載が再開されたときよりも高いテンションで、バイト先の上司の愚痴も、同僚の女たちの嫌味も、笑って聞き流せた。死を間近にすると世界は生きやすくなる。メメント・モリ。死を想え。

 段ボール箱を受け取ったのは土曜日の午後だった。開けてみると安っぽい赤の蓋がまず目に入った。ドラッグストアで売っているような透明な瓶に白い錠剤が詰まっていて、傍目には風邪薬と見分けが付かなかった。騙されたんじゃないかという疑いがお互いの顔に浮かんでいた。

 どうする?

 うーん…… でも飲まないとわかんないよね。

 もし本物ならわかるころには死んでるけど。

 長い沈黙が降りた。パソコン(当時はまだスマホでもタブレットでもなく、パソコンで音楽を聴いていた)からは初音ミクの「Calc.」が聞こえていた。

 わたしたちはどちらともなく手を繋いだ。

 ねえ、これが本物ならいつでも死ねるよね。

 そうだね。

 ちはやふるの続きを読んでからでも遅くないと思わない?

 進撃の巨人の続きも。

 デュラララ!!だって。

 顔を見合わせ、笑う。

 あのさあ、これ、死ねないパターンじゃん。

 馬鹿だね。

 うん。うちら、馬鹿すぎ。

 ほんとーだよ。


 ツイッターのタイムラインに様々な言説が流れる。2015年。わたしたちは日常を取り戻し、いままでと同じように暮らしている。変わると思ったいくつかは変わらなかった。むしろ退行しさえした。でもわたしたちの知らないどこかで変わらないと思っていたことが変わったのかもしれなかった。

 デモに対するわたしたちの呟きに「デモに行かないとか、それでも日本人かよ」とリプライが寄せられる。ブロックする前に「平家の生き残りじゃない?」と話す。平家にあらずんば人にあらず。平家の残党が生き延びて子孫を残し、現代の世にクソリプをかましてるなんて平清盛だって想像しなかっただろう。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 生き残りだね。ツイッターにはやんごとなき血族の末裔が集ってるんだよ。

 貴種流離譚だね。

 いいね。それをネタにしてネーム描いてみる。

 リプライしてきた見知らぬ誰かのアカウントをブロックする。わたしたちはデモに肯定的でも否定的でもなく、ただ距離を置きたいと呟いただけだった。すこし前にテレビで見た若い男の顔を思い出す。人にはいろんな背景があり、様々な快楽がある。あなたたちはあなたたちの快楽を貪ればいい。わたしたちは生きる。獣のようにだらしなく、惨めに、欲望のままに生き抜いてみせる。わたしたちは夜が来るたび乳首を硬く尖らせる。求め、愛し、決して孕むことのない絶頂を迎える。何度も何度も。数え切れないほどに。垂れた涎ごと唇を吸って、どちらともなく息を吐く。気怠い体をしわだらけのシーツに馴染ませて眠りを待つ。戦争が始まる。いや、もう始まっている。日常が少しずつ変わっていく。子供たちの遊び声がうるさいと保育園にクレームを入れる大人たち。発禁処分される「不健全」な漫画。SNSの喧嘩をきっかけに友人をリンチし殺す中学生たち。いつタガが外れだしたのか誰にもわからない。絶対の「正義」が、「健全」が、共感も慈悲もなく己以外の存在を認めることなく押し潰す。そんな光景が巷に見え隠れし、やがて野火となる。炎の中で政治家たちは笑い、軍事産業従事者は札束を懐に押し込み、マスコミはまず自分を棚に上げて責任者を探し出す。デモに行かなかった者たちが「お前のせいだ」とかつてのデモ参加者に責められ罵られる。「非国民め、お前たちのせいで戦争が始まったんだ。お前らは何も変えようとしなかった」違うという声は彼らの足に踏みにじられる。声のない声は雑草とともに焦げ、灰になり、飛ばされる。日常も欲望も人の数だけ存在した筈だった。何もかもが錆びた大きな鉄の車輪で均され始めたとき、戦争は始まった。

 だからわたしたちは生きるだろう。ネットワークとリアル世界で同時にテロが起き、分断された世界に生物兵器が投下されるだろう。殺す者は殺される者の血を見ない。悲鳴を聞くことはない。最新兵器の粋を集めたクリーンな虐殺がこの国を覆うだろう。その後に蹂躙が始まる。食料は奪われ、男たちは捕虜となり、女たちは犯され、やがて等しく殺される。車輪の崇拝者ども、お前たちは戦争をすればいい。熱した血飛沫に酔って踊ればいい。わたしたちは狡くしたたかに生き延びる。お前たちが踏みにじった日常を汚れた指で掴んでみせる。いま、わたしたちの指は互いの愛液でふやけ、ふくらはぎには微かな痙攣のあとが残っている。皮膚をめくれば骨も内臓もどろりと重く溶けているだろう。こんなんじゃ近くに爆弾が起きても逃げ出すことなんてできない。死んじゃうね。死んじゃうよ。わたしたちは笑い合う。触れ合った乳房と太腿をそのままに最近見たアニメについて話し(仲違いした友人と主人公が共通の敵を前にして結束するって王道だけど最高)、カミングアウトした俳優の髪型について悪口を言う(前の方がずっと良かった)。わたしたちの夜が更けていく。歴史書に記されることなく、時代に影響を与えることなく、獣の匂いだけを漂わせて。

すれ違いの猫たち

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