子どものころ、お兄ちゃんと裏山へ行ったことがある。木々は我が物顔に茂り、濁った沼ではカエルたちが周囲を気にせず大きな声で鳴いていた。本当は来たくなかった。無理やりお兄ちゃんに連れてこられたのだった。それなのにお兄ちゃんはわたしを気にせずどんどん先へと進んだ。
 わたしは必死にお兄ちゃんの背中を追いかけた。はぐれたくなかった。この山で迷子になって死んだ子どもの話を何度となく聞かされた。「お兄ちゃん待って」走るとプリキュアの水筒が腰のあたりにぶつかった。「おいてかないで」
 ひらけた場所でやっとお兄ちゃんは立ち止まり、わたしを見た。「食ってみな」お兄ちゃんの手には小さな赤い果物があった。野イチゴ。いつも食べるイチゴと違って、なんだか怖い感じがした。食べて平気なのだろうか。でもお兄ちゃんはなんでもないように野イチゴを口にしている。
 勇気を振り絞り野イチゴを食べた。口中に青臭さが広がり、苦みが舌を刺した。「うえええ……」半泣きのわたしを見てお兄ちゃんはお腹を抱えて笑っていた。ひどい。ひどすぎる。怒るわたしにかまわずお兄ちゃんは満足したのか「帰ろうぜ」と言った。
 兄とはひとりで突っ走って勝手に満足する生き物なのだと、そのとき学んだ。漫画やアニメに出てくるかっこよくて優しい兄なんて幻想だ。フィクションだ。帰り道も兄はわたしのことなんか気にせず先へと進んだ。でも、その背中が見えなくなることはなかった。見失うことはなかった。


  震えつつ風のなかです 矜持あり猫には猫の骨には骨の

すれ違いの猫たち

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