幸せな記憶は嫌いだ。胸の底にほのかな灯りがともり、暗い壁に幻影が生まれる。幻影は笑みを浮かべている。皮肉な笑み。嘲笑。灯りは消えて胸のいちばん深く暗い場所にその笑みだけが残る。だから幸せな記憶を思い出すことはしない。眼を伏せて感情を殺す。生きるためだけに生きる。
 そんな生き方に慣れちゃダメだよとあの人はわたしに諭してくれた。寂しさに慣れちゃいけない。でもそんな声をかけてくれたあの人をわたしは遠ざけた。わたしという暗渠に落ちてしまわないように――なんて、嘘だ。わたしは怖かった。寂しさに、孤独に、慣れ過ぎてしまった。
 思い出すのはあの人の記憶。くるくると回りながら落ちる木の花のように、光を浴びながら幸せな思い出がわたしの中に落ちていく。暗い場所へ。冷笑が支配する心の底へ。でもわたしは眼を閉じて光りながら落ちる花々を見つめる。見とれる。時々、ひとりで。痛みを感じながら。


   ひだまりが眩しいのならこっち来て好きな暗闇抱きしめなさい

すれ違いの猫たち

短歌・詩・散文など