水。眠り。壊れたブレーキ。空気が抜けつつあるタイヤ。ススキの穂をいっせいに揺らす夕暮れの風。赤らんだ半月を囲む淡い光。波打ち際で音を立てて萎んでいく白い泡。ぬかるみ。嘘。たぶん、また、嘘。眠りの中でなりたいものを夢見て。目覚める。やわらかく水音がして。目覚める。そんな夢をいつまでも見ている。
あたしたちはきっと柩の中にいる。一人用の柩にふたりで抱き合って収まっている。土と木の匂いが黒い闇に微かに漂っている。だからこの柩は木で出来ていて、地中に埋められたのだろう。自分がいつどうやって死んだのか、まるで記憶にない。でもあなたとこうしているということは心中でもしたのかもしれない。薬を飲んで手を握り合って眠ったのかもしれない。遺書を脱いだ靴の下に置いて海に飛び込んだのかもしれない。無理心中じゃなければいいなと思う。あたしのせいであなたが苦しむ姿は見たくない。いまのあたしがそう思うのだから、死ぬ前のあたしも同じことを考えたはずだ。いまのあなたがどんな表情かは暗闇のせいで見えない。もうずっとここにいるような気がするのにまったく眼が慣れてくれないのだ。ただ間違いなくあたしはあなたを感じる。肩に、腕に、腰に、太腿に、親指と人差し指のあいだに。あなたはいる。そこにいる。それだけは確かだ。
あなたの隣であたしは終わりのない夢を見ている。あなたは嘘つきだった。お金にも女にもだらしがなくて、仕事をすぐやめてはあたしの元に転がり込んだ。社会不適合。でもあたしだって他人のことは言えない。家庭でも学校でも会社でもあたしは異物だった。だからあなたの嘘を嘘と知っていても受け入れた。それであなたがあたしのそばにいてくれるのなら、良かった。あたしの夢であなたはまた嘘をついている。見渡す限りススキの生えた草原であたしの名前を呼んでいる。今度こそ妻と別れてお前と結婚すると言っている。また嘘のくせに。あたしはそれでもあなたの声がするほうへ歩いていく。耳元で水音がする。足がぬかるみに取られてしまう。夕焼けに視界が赤く染まり、風がススキの穂を騒がせる。あなたはすぐそばにいるのに、あたしを呼ぶ声だって聞こえているのに、あたしはまた迷子になってしまう。そんな夢を柩の中で見ている。あなたの隣で見ている。
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